Kousei Ikeda/Blog

2012.03.27/Book

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書体のおおまかな歴史の紹介からはじまり、基礎的な用語説明、有名書体の特徴と背景、そしてロゴタイプの作例紹介。
既にバリバリできている人には不要な本かもしれませんが、その方面の教育を受けてきていない僕としては用語や書体の制作背景なんかは知らないことが多く、読んでて面白かったです。
くわえてこの本自体が色使いやスペースの使い方など非常に美しくできていて、素敵ですね。

2012.03.26/Book

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超遅筆なため2〜3年に1回しか単行本が出ない漫画。でもずっと買ってる。
正直ストーリーはとびとびでもはや風呂敷は広げすぎて間違いなく畳めない状態。ドラゴンボール並みにインフレしてるし。
エロいシーンもままあるし。子供にはあまり見せられないよねー。
事実、発売直後からAmazonのレビューでは賛否両論。

だけど、だけど。

あとがき読むとわかるけど、この人はいまだに、連載開始して20年も経つのに、まだどんどん新しい絵の描き方に挑戦してる。そして事実、変化して、進歩してる。背景の書き込みとかすごいよ。最近はちょっとアニメぽくなりすぎて個人的に最も好みだった時期よりは外れているのだけど、それでも変化し続けるこの人の絵を見ているのが好きだしそれだけの価値がある。

この人は本当に絵を描くのが好きなのだなと思う。それが伝わって来る。そこに妥協はない。
だから2年に1度しか単行本が出なくても、買う。

第一、そんだけたまにしかださないと普通打ち切りになる。人気がないと。
でも打ち切りにならない。まあそれなりに売れてるってことだ。
ましてやAmazonで批判的レビューを書き込む人もまた読んでるわけで。
世の中には気にもされず、批判もされず、賞賛もされず、目にもとまらずに消えていく表現物がどれだけあるか。それは作る仕事をしているから、個人の著作物を作っているのではないから少し違うけど、わかる。
コンテンツにあふれる今の時代、まず目に留まること自体がとても大変なことだ。しかも、別にマスでCMしてるわけでもタイアップしてるわけでも、ソーシャル施策だ!とかやってるわけでもない。純粋に作るものが力を持ってるのである。広告の仕事をしてるとついつい伝える方法を考えるのが仕事だから視点がそこにいっちゃうけど、ほんとに力のあるものは、そんなのいらないのである。

そういう意味でも、この人の偏りは大いにありだしカッコイイ。僕は偏った人が大好きだ。
これからもストーリーはオマケだといわれようと、自分の好きなカッコイイ絵を書くための世界観の漫画を描き続けてほしいと思う。
それでいいじゃないかなとおもう。

個人的には世界観ちゃんとあるし、オマケじゃなくちゃんとストーリーも面白いし、時々挟まれるトンデモなうんちくも面白いから全部好きなんだけど。
2年後の新刊が楽しみである。いやほんとはもっと早く出てほしいけどね。

2012.03.24/Book

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人気サイトFresh News Deliveryの過去7年分からさら332アイテムを紹介する本。
知らなかったアイテムもたくさんあって、他のモノ系の本で見かけないものもあって、この人の持ってる、少しユーモアのあるモノを選ぶセンスはやはり好みだなと。
既にほしいものの付箋がいっぱいです。破産注意。

2012.03.23/Book

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間違いなくひとときの流行ではない名作漫画として挙げられる1つだとおもうんだけど手元になかったから映画化のニュースで思い出して購入。
久しぶりに読んだけど鮮烈な印象と鋭い言語感覚はやはり素敵。一気に読んだ。
映画化、大丈夫かな。好きな作品の映画化は期待より不安が勝るのは常です。

2012.03.17/Note

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僕の誕生日にあたって祖父母が手紙をくれた。

僕は父方とは正直少々疎遠だ。
だけど、母方の祖父母はとてもよくしてくれた。
今でも離れているけどよくしてくれているし、月に数回は電話で話す。
子供の頃は歩いて1分の所に住んでいたからほぼ毎日行っていたし
それはよくしてくれたという距離感ではなく
親が共働きだったからむしろかなりの部分育ててくれたと言うほうがいいかもしれない。
小さい頃は親よりも祖父母と過ごす時間の方が多かった気もする。

そんなふたりは今でもぼけたりすることなく、大きな病気をすることもなく、
さすがに年のせいで体はあちこち調子悪いけれども
介護も必要なくふたりで普通に暮らしている。

それがどんなにすばらしいことかと。
どれだけの偶然が重なってその普通が今あるのだろう。
ふたりがそうあるために僕は何かをしたわけではない。
全く何もする事なく、ただただそれはあたわったもので、それはとても不安になる。

今の自分は色々なものを手に入れたり手に入れられなかったりもちろんしているけれど
それらは基本的には能動的に手に入れに行ったり
または能力不足により手に入れられていないという思考だ。

でもあのひとたちを見るとどうだろう。
最終的に高齢になっても心身ともに充分に健康で自立した生活をふたりで送っている事、
そこにはもちろん本人達の努力、ふたりの子供である僕の親の母親の努力、
そういったものが全くないとは思わないけれども、
幸いな事に健康でいてくれる祖父母と、
不幸にも健康を害して亡くなってしまった祖父母の同年代の方々の間にどういう違いがあったのかというと
そこにはもはや努力して獲得したものなどとうに越えて
その多くはほぼ無限の偶然の積み重ねの結果にすぎないのではないかとそう思う。

若いうちは手に入れる手に入れないという思考がどうしても中心になるけれども
最後残っているのが手に入れたものではないというのをみて
自分が持っているもの全て自分で手に入れた気持ちになってしまっている自分に気付いた気がした。

育ててもらったこの人達に僕はなにができるんだろう。
自立してしっかり生きることが恩返しであるとは思うしふたりもそれを望んでいるとは思いつつも
それは離れた土地で頑張るということであり必然的に会う機会は減ることになる。
話す機会も減ることになる。
そこには寂しさはあれどしかたないという気持ちとそれでいいのかなという気持ちが同居している。
本当は僕が子を作り祖父母が親が続けてくれたサイクルを残して行くのが
生物として最後に最も大切なものである「健康に生きる」ということを全うしているふたりに対してできることなのかなと思う。
(まあいまんとこ嫁βもいないんだけど。ごめんじーちゃんばーちゃん。弟は嫁αくらいはいるらしいので期待している。)

もうひとつおもうこと。

たまに帰るだけだとどうしても昔を懐かしむのと
近況報告だけで終わってしまう。
昔話ばかりしてうっとおしい年寄りも世の中には沢山いるのだけど、
ふたりは全然昔話をしない。
ふたりの人生、歩んできた道もなんとなくは知っているけど本人の口から語られたことはそれほどない。
だからこそ興味がある。

本当に深い話をしてみたいけどどうしたらいいかわからないというのもある。
あまり話したくないのかもしれない。
身近な人の中で最も長く世界を見てきた人は
今の日本を、今の世界をどう思うのだろう。
聞いてみたいけどどう切り出していいのかわからない。

祖父は結構苦労してきた人で、戦後学歴がないながらに公務員になって
大変真面目に働きながら札幌の数十年を高度経済成長時代とともに見てきた。
それゆえに非常に真面目な部分と
びっくりするくらい逞しい部分が同居している。
普段は好々爺なのだけど何か起きた時に全然動じない。芯がある。
そういう強さがあの世代にはある。
これは僕のなかにあるひとつの憧れなんだと思う。

とにかく、今僕はどうしてもインターネットにずぶずぶで、
インターネットの世界でどう差別化をするかを考えるにつけ
本読んだりしてできるだけインターネットではないメディアからの情報を入れるようにはしているけど
そもそもふたりが生きてきたその情報、経験、そこから語られるものというのは
ネットにないどころか今の僕たちの世代にはないものだから
そもそもなかなかネットにのらない情報である。
インターネットで価値を出せる情報がネットにない情報であると考えるから
そもそも場所やクラスタの違いですらなく
時間の違いというのはすごく意味がある。越えられないものがある。

いやもっと単純に、残念ながら人は死んでしまうから、残してほしい。
そういう世代にこそいま、デジタル化した情報をばんばん残してほしいと思う。
それをどう捉えるかはあとのひとの問題ではあるが、
まずはアーカイブすることに意味があると思う。

そう色々考えて、まずはふたりの、最も身近で最も長い時間を見ているふたりの、
できるだけ話を聞きたいと思っている。
そしてそれができるチャンスがあるのは、本当にあたわったものなのだと実感するのだと思う。
愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶかもしれないが、
歴史もまた人が描くものだし、そこに描かれる事実らしきものも所詮生きた人の目を通した事実でしかないし、
要は歴史とは多数の経験の集約だ。

集約だからこそ個の経験から学ぶと誤るものも平均化されて集合知的に最適化されリスクを避けられる。
それを活かすか、活かさないか、あえてその答えを避けるかは別として、まずは知ること。
知りたいなと、多分自分の年齢もあると思うのだけど、
最近すごくおもうのです。

2012.03.05/Note

先日ある人が言っていた言葉でこれはと思った言葉がありました

ディレクターに「多分大丈夫」はない、「大丈夫」か「大丈夫じゃない」かしかない。

て言ってたんですね。いや感動系とかじゃないんですけど。

仕事って実際にはそりゃ不確定要素いっぱいだし、そのためにバッファもとるのだけど、ディレクターが発する言葉としてはそこに「多分」はない。
多分、て言わないこと、多分ていう部分を詰めるのがディレクターの仕事なのだなと。

そしてディレクターと一緒にやるエンジニアの視点で考えると、確かに「多分」て言われても困るわけで。デザイナー視点でもそう。後で変更になる可能性はもちろんあるのだけど、その時点ではこれ、っていうのを決めると作業のしやすさが全然違ってくるという実感はある。

当然のことだし、できる人はみんなできてることなんだろうなと。
でも明確な言葉にするとすごくはっとさせられました。

自分がディレクション的動きをするときにも間違いなく「多分」と言ってしまっているはずだし、これからはまず最初に思い出す言葉にしようと思います。

2012.03.01/Note

ついに!ついに!30歳になりました。
さよなら20代。ようこそ30代。
新しい10年紀の到来です。すごいことですよーこれは!

何かを変えるならば、つき合う人か、場所か、をまず変えるべきであって気持ちを新たにするなんてのは大概まったく意味などない。となんかで読んでそうだよなーと思ったりもしましたが、そもそも場所を変えるという行動の源はやっぱり変えるという気持ちであって、意思であって、やっぱり気持ちが最初にまず走るんだよ。と昨日思いました。昨日。

実は29歳最後の日がたまたま閏年で29日であるという肉の日だったので肉とか食べたかったのですが、あえなく断念。まあしょうがない。

目標はまずとりあえず、寝坊しない!これ大事。頑張ります。

今はまだ20代を振り返って、、、という感じではないですが、どこかで総括が必要でしょう。したほうが面白い、きっと。

ということで、色々オトナになれるように頑張ります。
誕生日おめでとうって言ってくれた方々、ありがとうございます!

@ayacompoがお誕生日の曲つくってくれました。わーい。