Kousei Ikeda/Blog

2015.05.20/Comic

IMG_2344

「四月は君の嘘」が11巻で完結した。
主人公はピアノの才能があるが、母の死にトラウマを抱えてピアノから離れてる。ヒロインはバイオリニストだが病弱。そういう作品。

主人公と自分の名前が同じなこと。僕は情熱も才能もあったわけではないが母がピアノを教える仕事をしてるから自分もピアノをやってたこと。ピアノでキレられ母親に叩かれたれたりもしたこと(特に恨んでたりはしない、お互い若かったねぇと今では母と話すようなネタ)。諸々主人公とカブるので、感情移入せずにいられない。繰り返すが才能の部分は全くカブっていないけど。

自分の子供の頃、ピアノは上にも書いたようにたいして上手くはなかったのだけど、発表会で今でも記憶に残ってる瞬間があって。練習でどうしてもうまく弾けない部分があり本番用には難易度を下げて弾く感じに仕上げてた。直前に家で練習していた時も最後まで一度も本来の構成では完璧には弾けなかったのね。

でもそれが、本番の演奏中に、その部分の直前まで来た時に何か直感で「弾ける」って感じて。一瞬の逡巡があって、、、いやもしかしたらそれすらなかったような気もするけど、チャレンジして、本来の構成で完璧に弾けた。些細な成功なんだけど、あの数十秒間は魔法みたいだったなぁ。ミスタッチする気がしなかったもんな。

かたや仕事では、準備中に1度もできなかったことを本番にぶっこんだりは、絶対にしないと思う。「うまくいくわけないじゃん!」という判断になる。そりゃそうだし、自分でもそうする。

でも、いまやプライベートでも、やたらと根拠を求めちゃう。そこがよくないなって、ときどきそのときのエピソードを思い出して、ゼロじゃないんだよな、と思う。むしろその直感のバックグラウンドとなるものを理屈に落とし込めてないだけなんじゃないかって。まあ実際には多くは運であったとはおもうけど、でもなんか「今の自分には絶対にこれができる」確信はあったんだよなぁ。

根拠は全く無いが確信はある。そういう時ってやっぱりあると、思うのだよね。仕事ではやんないけど、プライベートではたまには無根拠に動いてもいいのかなって思う。僕の理屈っぽい性格を知ってくれてる、尊敬する友人にも「Don’t think, feel !」ってブルースリーみたいなことよく言われて、それは好きな言葉の一つになってる。

あともちろん、弾けたってのは、それはなーんにもしなくて手に入った結果じゃないとも思う。リスクヘッジしたプランを準備してそれは弾けるようにしておきつつ、ギリギリまで本来の構成を練習したから弾けたのかなと。そのやり方は仕事も一緒。とはいえ、一度も成功してないものを本番には、、、やっぱり仕事ではやらない。笑

一発勝負の場、あの瞬間の全能感、弾けた後の高揚感、子供の頃の思い出できっとずいぶんと美化されていると思うけど、いまでもああいう感覚を感じたくてなにかをがんばって、ほんで仕事でも「むっちゃいいかんじにできた!」って深夜のオフィスでガッツポーズすることはあるし、その瞬間それをやっててよかったって思うし、報われたって感じる。きっとその影響は一生あるんだと思うな。ヒロインも「全てが報われる、あの瞬間を忘れられるの?」って主人公に言ってた。

でまあ話は戻して、四月は君の嘘、11巻で完結したと。この結末、僕的には切ない。ネタバレになるけど、最初に1度目の共演があって、2度目の共演がヒロインの病気で倒れて実現しなかったときに、ああこれはクライマックスは二人の共演だなーっておもって。で実際そうだったんだけど。で脚本としては伏線みたいなの回収ちゃんとして、すっきりはする。

それより感じたのは、音を漫画で表現するって難しさ。音は絵にも書けないし、漫画は音も出せない。だから演奏の違いを観客の反応やモノローグで語るしかない。その表現にもバリエーションに限界がどうしても来ちゃう、という気がする。他の音楽漫画での表現をおさらいしたくなった。

そういう意味ではアニメのほうはまだ、音は出せるから、表現としてやりやすかったのかも。結構評判いいし。あわせて公式に行われた、漫画の中で出てきたクラシック曲をYoutubeで紹介したのとか良い施策だっと思うなー。

もちろん、漫画も、良い。オススメ。ああ、もっかい最初から読もうとおもう。

Amazon.co.jp: 四月は君の嘘(1) (講談社コミックス月刊マガジン): 新川 直司: 本